木を植えよう  2

よつば木をはじめとする植物は、もの言わぬおとなしい存在ゆえ、ずうずうしい人間にかかったらいいように伐られてしまいます。ところが、木にもちゃんと意識があり、霊が宿っているのです。木は人に伐られて、どう思ってると思います? 神社のお社を建て直すとか、材木にして家などに有効に使うよ、あるいは割り箸にしてバリバリつかいすてにするよ、といったらニコニコして伐られると思いますか? すごく怒り狂うまでは行きませんが、無念に思うそうです。ところが、邪魔だから伐る、あるいは人の領地争いに関与して、伐られた木々はかなりお怒りです。木もご縁があってそこにはえているのですから、本当は、そこに生える権利があるのですよ。

 地球の表面は、神様が、人類だけでなく、あらゆる生命のためにもお貸しくださったものなのです。借り物なのですよ。喧嘩が強く、うるさい順に占拠されてしまっていますが、おとなしい動植物はつまみだされるしかないのでしょうか? 人間さんは、もう少し謙虚に動植物と向き合わないといけないみたいです。

沙漠植林ボランティア協会 がおすすめ。


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